Hotel Le Bois des Chambres & Restaurant Le Grand Chaume

ダイニングルーム

published at 26/10/2022

南の翼(よく)の一階に位置するこの長さ17メートルの部屋は、19世紀はじめ、厨房と召使の仕事場でした。ブロイ公夫妻はこの部屋を、15,16世紀様式の会食の間に改装しました。ネオ・ゴシック様式の暖炉、カラフルな天井をご覧ください。また、当時最新の近代的な設備も完備されました。水道、電気、ラジエーターに よる床暖房システムなどです。

作家でド・ブロイ家と親しかったガブリエル=ルイ・プランゲはしばしばショーモンに滞在しました。彼は著書『アメデ・ド・ブロイ公妃は無限の独創性と奇抜さいっぱいの女性だった。したがって彼女はあらゆる規則や規律を嫌い、正確さに従うことを潔しとしなかった。ショーモン・シュル・ロワール城での夕食は8時15分に決められて いたが、公妃が10時15分前に姿を現すのは稀であった。我々はもちろん、サロンにあふれるほどの薄紫色のランの甘い上品な香りに酔いながら待っていた。ブロイ夫人はいつも20人ほどの客を招待していた。その中の幾人かは、知性と芸術と優雅の世界的権威だった。(...) テーブルの上には目もあやな銀器が、8から10のロウソクが立てられた背の高いろうそく立ての明かりに輝いていた。テーブルの中央にはいつも茶色の斑点のある緑のランの飾り鉢があった。それはとても印象的で、石の壁を覆う14世紀のタピスリーとよくマッチしていた。テーブルのナップ類は素晴らしく、ブロイ家の紋章が直接織り込まれていた。(...)モンパンシエ公が1913年12月に滞在したときの夕食のメニューは、王妃のブルーテ、子牛の胸腺(きょうせん)肉・元帥風、ロワール河のサーモン・緑ソース、小鹿のもも肉・胡椒ソース、栗のピューレ、サラダ、カルドンと牛の骨髄、レーズン添えツグミのショーフロワ、トリュフのナフキン包み、パイナップル・アイスクリームとお菓子。』

 

家具
会食の間のためにブロイ公夫妻は高名な家具師たちに家具を注文しました。これらの家具の一部は1938年に売却され、1950年にはこの部屋のミュージアムとしての再現が行われたため、19世紀的な性格が次第に失われ、ルネッサンス様式が優先されて行きました。城の歴史的な一貫性を回復するために、近年、ド・ブロイ家の時代に主流となっていた雰囲気を再現することが決定されました。
こうして、昔の家具の買い戻し作戦が繰り広げられました。そのひとつが、1880年の食器台です。下部の4枚の扉には組み合わせ模様、枠飾り、火トカゲが彫刻されています。中央部には4つの引き出しと円柱の支え。上部には4階の棚があります。
食器台は食器を保管し、特に、飾って見せるためのものです。その起源は13世紀で、引越しの際に家具を運搬する荷車に、場所をとらないように、二つの箱を重ねたことに始まります。14世紀には、一方の箱に扉をつけました。こうして食器台が生まれたのです。15世紀に食器台はますます発展しました。国の高官の宴では、しばしば金製や銀製の豪華な食器を引き立たせるという重要な役割を果たすようになります。
15世紀、ブルゴーニュ宮廷のためにアリエノール・ド・ポアチエが書いた『栄えある宮廷』によれば、棚板の数は、城主の騎士団内の位によって異なっていました。5つの棚は親王あるいは王妃のため、4つの棚は 公爵の妃のため、3つの棚は伯爵の妃のため、2つの棚は騎士の妃のためです。
ショーモン・シュル・ロワールの領地には新しい家具が、国立調度品庁、パリの国立装飾美術館、国立中世美術館によって、継続的に委託されています。また、『ショーモンのコレクション充実のための州基金』によって購入された家具ももたらされています。

 

暖炉
暖炉は、ブロイ公夫妻の建築家ポール=エルンスト・サンソンが、19世紀末に、ネオ・ゴシック様式にデザインし、彫刻家アントワーヌ・マルゴタンが作りました。
サンソンは高度な技量をもって、城の壁面にある彫刻装飾のテーマを、暖炉のマントルピースに再現しました。上部には、1481年まで城主だったシャルル1世ダンボワーズの家紋と、1511年まで城主だった、息子シャルル2世の家紋があります。一方の家紋は天使に、他方の家紋は原始人に持ち支えられています。その下は、ジョルジュ・ダンボワース枢機卿の家紋で、両側にはシャルル2世の二つの絡まったCが描かれています。暖炉の両側面にはショーモンの語源に関わる判じ絵があります。ショーモン、つまり熱い山という意味で、炎に包まれた山です。その上は、フランスの百合の紋章です。