Hôtel Le Bois des Chambres & Restaurant Le Grand Chaume

玉突き場

published at 26/10/2022

ビリヤードの間は当然、ビリヤードのための部屋ですが、男性たちがたっぷりと食事をしたあと、葉巻をくゆらしながら政治を論じるために集まった部屋でもありました。カラフルな天井は、囲み装飾やシャルル2世ド・ショーモン=アンボワーズを表す 絡まった二つのCの文字など、ルネッサンスから自由にヒントを得た19世紀の装飾で、このような装飾が残っている部屋は城でも珍しいもののひとつです。

中心の梁(はり)の両側には、ブロイ家時代の城が三つ描かれています。両端の『持ち送り』には、ショーモン=アンボワーズ家の家紋、金色と赤の縦縞の盾と、ブロイ家の家紋、金地に青い十字が見えます。

二つのタピスリーは、16世紀にブリュッセルで作られたもので、ハンニバルの生涯を物語っています。右は『サグントゥム攻略』、左は『ポー平原を指揮官たちに示すハンニバル』です。

 

ハンニバルによるサグントゥムの奪取を描いたタペストリー

紀元前3世紀、対ローマの第一次ポニエ戦争に敗れたカルタゴは、陸路でイタリーに達する新しい方策を模索します。スペインを占領すれば、イタリーに近いところで常駐軍を維持することができるだろう、カルタゴの上院議会はハミルカル・バルカにイベリア半島の占領を命じます。彼はこれを成功のうちに成就しました。この偉業を彼の娘婿ハスドルバルが引き継ぎ、ハミルカル・バルカの息子ハンニバルを第一指揮官に任命します。ハンニバルはまもなく、カルタゴ軍の唯一の指揮官になります。紀元前219年、彼は対ローマの戦闘を開始して、ローマの同盟都市サグントゥムを攻略します。タペストリーが描いているのは、ハンニバルが和平を結ぶためにやってきた2人の使者にこの包囲された都市を見せる場面です。実際、サグントゥムの占領は永遠の都への挑発です。カルタゴ元老院が総司令官ハンニバルの否認を拒否すると、ローマはカルタゴ人に宣戦布告し、第二次ポエニ戦争が始まります。

ド・ブロイ家の時代、このタペストリーはサル・デ・ガルドに展示され、1954年に歴史的建造物に指定されました。

 

ビリヤードも間

球という意味のビーユから派生した言葉ビリヤードは、13世紀の有名な文学作品『薔薇物語』に見えますが、現在のビリヤードキューの前身である、先の曲がった木の棒を意味していました。ゲーム自体は、ペルメル球戯やクロケットなどの戸外のゲームから発生し、洗練されて、室内でテーブルの上で行うゲームとなったようです。最初のビリヤード台を作らせたのは、1469年、国王ルイ11世です。更に1514年、ヴァランティノワ公妃、シャルロット・ダルブレの目録にも見えます。しかし、このゲームがフランスで真に定着したのはルイ14世の時代でした。当時のビリヤードは、テーブル上のクロケットの一種にすぎませんでした。テーブルの木が大理石になるまでに、さらに、一世紀かかります。大理石はその後、完全は安定性と水平を確保するために、スレートに変わりました。