大厩舎
大厩舎は、引き馬用の馬房、サラブレッド用の単独房、厨房、引き馬用馬具置場、式典用馬具置場、大広間、馬車置場、屋根付調馬場、ポニー用の馬房など、いくつもの場所に分かれています。
『半血種』の厩舎には、馬車を引くための引き馬が収容されます。この厩舎には、馬車に繋がれていない馬たちを繋いでおくための馬房があります。この建物の内装は1877年から全く変わっておらず、馬房、馬の名を記した飾り枠、腰掛、さまざまな色の鋳物ホーロー製のプレートが付いた秣桶と水飲み桶、真鍮のたたき金と留め金、アーク灯などがそのまま残されています。馬房の木の仕切り壁には、馬の脇腹を傷つけないように靴拭きマットが張られています。厩舎の壁の、彫刻を施した木の額縁に囲まれた指示板には、場丁と厩番の1日の務めが毎時間ごとに記されています。
引き馬の厩舎に続いて、乗用馬の単独房があります。引き馬よりも神経質な乗用馬のサラブレッドは1頭ずつ単独房に入れられ、繋がれていませんでした。壁にはもともとニスを塗った羽目板が張られていましたが、1950年代に取り外されました。低い扉は、馬が膝を痛めないように保護マットで覆われていました。単独房の後ろ側に、外からは見えないアーチ形天井の細長い回廊があります。城の使用人たちはここを通って厨房から引き馬の厩舎へ簡単に赴くことができました。
大きな中庭も厨房と引き馬用馬具置場に通じています。引き馬用馬具置場は、3面の壁に羽目板が張り巡らされた大きな部屋で、冬には使った後の引き具一式の手入れ(取り外し、洗浄、乾燥、グリス塗り、取り付け)を行う馬具置場として、また、『マッシュ』と呼ばれる加熱処理した穀物を含む馬の飼料を準備する厨房として使われていました。もともと大広間にあった2つのアーク灯は、オペラ・ガルニエやパリ市庁舎のものと同時期で、1898年にすでに電気照明が設置された近代的な厩舎であることを物語っています。
引き馬用馬具置場の隣にあるのは、式典用馬具置場です。19世紀末の状態がそのまま残されたこの部屋と、そこに収められている引き具、鋼、靴の重要なコレクションは、現在、フランスでも最高級の馬具コレクションの一つとされています。これらの馬具および革細工品はすべて、エルメス社、クレマン社、アドラー社、アダム社など、19世紀の名高いメゾンのものばかりです。胸繋と馬齢の付いた競技用のものから、金銅飾り付英国式首輪の式典用のもの、一重または二重のポニー用のものまで、馬具置場に見られる馬具の展示は、複雑で場所をとるこれらオブジェの伝統的な収納方法に対応しています。
厩舎の中心となる場所は、建物の中央に位置する広大な大広間です。大屋根の造りで、使用人は季節を問わず風雨から守られ、容易に作業をすることができました。ここでは、使用後の馬車を洗浄したり、馬を洗ったりします。蹄鉄工もここで働きます。馬を繋いで、隣の馬具置場から取ってきた馬具を装備する場所でもあります。柱時計のリズムに合わせて、さまざまな作業(馬の手入れ、ブラシがけ、鞍置き、仕着せの着用)が進められ、指示板には各使用人(馬庁、御者など)の日課が掲示されていました。
中庭の一角を占める、直径約12メートルの屋根付調馬場では、引き綱を使った馬の調教が行われ、アンリ=アメデ・ド・ブロイ公と招待客たちは、円形の回廊から馬場を見下ろすように心地よい見学を楽しみました。この調馬場を造るにあたって、建築家ポール=エルネスト・サンソンは、ジャック=ドナシアン・ル・レイ・ド・ショーモンが建てた陶器・クリスタル製造工場の焼成炉の土台を使用しました。この焼成炉の一部となっているのは円形回廊上側の壁だけで、床面高さは以後下げられています。壁の下の部分と、建物上部の横架材、円錐形の屋根の部分はサンソンによるものです。
ポニー用厩舎。四隅を占める4つの単独房と、北壁の2つの単独房の間に設けられた3つの馬房で構成されます。当時のままの羽目板、仕切り板、秣桶、秣棚が残るこの厩舎は、引き馬用厩舎と同じ豪華な造りになっています。ただ一つの例外は、ポニーが勝手に外に出たり、取っ手に当たって怪我をしたりしないように、馬房が安全装置付の扉で個別に閉まるようになっていることです。